ーブータンからGraSPPへ ブータンで学士課程に在籍していたとき、日本のある教育機関との2週間の文化交流プログラムに選ばれました。卒業後、その文化交流を行った同じ機関が私に学びの機会を与えてくれ、学費の支援を引き受けてくれました。この機会が訪れたのは、高等教育を受けるための資金や奨学金を切実に必要としていたときでした。当時、東京大学は私が関心を持っていた唯一の大学であり、出願した唯一の大学でもありました。学士課程では英文学と環境学を専攻していましたが、国際関係や政治にも常に強い関心を持っていました。GraSPPには英語を教授言語とする国際プログラム(International Program)があると知り、私の日本語力は大いに不足していたので、これは大きなプラスでした。さらに、もし選ばれれば私がGraSPP初のブータン人になると分かり、日本で最も優れた学校で美しい祖国を代表できるという展望は、それだけで十分すぎる動機になりました。すべてが収まるべきところに収まり始め、GraSPPこそが「私のための場所」であることは明らかでした。
ー日本での暮らしと学び 日本が文化の美しい爆発のような場所になるだろうということは分かっていました。ブータンで毎年開かれる日本文化祭によく足を運んでいたからです。そして実際に日本に来て、最初に圧倒されたのが街の清潔さでした。ゴミ箱がどこにも見当たらないのに、誰一人ゴミを捨てない。これはいまだに大きな驚きです。日本人の市民意識は、私も見習おうとしているものです。GraSPPでの最初の学期は素晴らしいものでした。出会った友人や知人たちは、実に優れた頭脳と心の持ち主です。最初の学期は学校に夜遅くまで残ることも多かったのですが、飲み会もたくさんあって、よいバランスでした。その後パンデミックが起こり、以来オンラインで学んでいます。オンライン授業は楽しく、通学に使っていた時間を課題に充てられるのが気に入っていました。私は内向と外向の中間の性格(アンビバート)なので、家にこもるのも外に出るのも、どちらも苦になりません。パンデミックが直接・間接を問わず私たちみんなの生活にひどい影響を及ぼしたことは分かっていますが、この1年半で実に多くのことを教わりました。料理の腕をあれこれ試し、たくさんの読書をこなし、そして離れているからこそ、すべての人間関係のありがたさを学んでいます。
ーCAMPUS Asia プログラムへの参加 日本で数か月暮らすうちに、自分には東アジアとその協力関係、経済についての知識が足りないと気づきました。CAMPUS Asia プログラムに惹かれたのは、そのプログラムの設計です。アジアのトップ大学の2校ではなく3校で、しかも日中韓(CJK)という(私が学んでいたほとんどの科目で登場する組み合わせの)国々で学ぶ機会が得られるのです。もちろん、出願した当時、世界にパンデミックはありませんでした。中国や韓国に行けなかったのは少し残念でした。それでも、オンラインで受講した授業には感銘を受けました。現地にこそいられませんでしたが、バーチャルの授業も同じように情報に富み、得るものの多いものでした。教授陣は、私たちが必要とするものをすべて整えてくれました。どの授業も心から楽しみましたし、北京大学(PKU)のクラスメートの何人かとは今もSNSでつながっています。
ー国境を越えたつながりを築き、保ち続ける 私はすでに、GraSPPでの経験を日々の暮らしのなかで生かしています。GraSPPは、人とのよい関係を築き、そのつながりを保ち続けることの大切さを教えてくれました。世界の相互依存が深まるにつれて、この相互依存を平和なものに保つ責任は私たち全員にあると思います。だからこそ、誰に対しても敬意あるつながりを保つことが不可欠なのです。1964年に日本人農業専門家の西岡京治氏がブータンに派遣されて以来、日本はブータン経済の発展を支える存在であり続けてきました。それ以来、日本のODAは両国の二国間関係の中心にあり、私自身も、夢だった教育を受けられるよう日本のスポンサーの方々に親切に支えていただいているので、日本とブータンの関係をいっそうありがたく感じています。将来の私のキャリアが、この美しい絆に何らかの形で貢献できることを願い、祈っています。