日本に移り住み、東大で学ぼうと決めた理由のひとつは、故郷の歴史について、そして間接的には自分自身の生い立ちについて、もっと深く知りたかったからです。私は民族的には日本人ではありません――ハワイアン、フィリピン、中国、イングランド、アイルランド、ドイツの血を引いています――が、ハワイを今日の姿へと変えた歴史的な力を形づくるうえで、日本の人々は大きな役割を果たしました。公共政策大学院で過ごした時間を通じて、ハワイと日本が共有する歴史と、私たちがともに乗り越えてきた困難について、より深い理解を得ることができました。これらの学びを携えて、私はいま、故郷のコミュニティに現在ある分断に橋を架けるための、より多くの道具と、より大きな希望をもって、政治家としてのキャリアを歩み始めます。
前世紀、ハワイと日本の人々は、平和で豊かな関係の展望を永久に断ち切ってしまいかねない、いくつもの出来事に苦しみました。私の家族を例にとれば、祖父は通っていた中等学校の校庭から真珠湾攻撃を目撃し、祖母は子どものころ、フィリピンの自分の村に大日本帝国陸軍が侵攻してくるのを経験しました。私の近所のほとんどの家族が同じような物語を持っていますし、多くの日本の市民もまた戦争の痛ましい記憶を抱えていることを知っています。これらの試練は強烈なものですが、ハワイと日本のつながりを規定するものではありません。東大で私は、私たちの関係がむしろ豊かな歴史的・文化的な絆によって規定されている理由について、少しばかり学ぶことができました。
東大での経験のなかで最も大きな意味を持ったもののひとつは、第二次世界大戦の過ち――私の祖先が犯したものと、祖先が被ったものの双方――と絶えず向き合い続けたことです。複数の教授から、戦争についての自分の見解を述べたうえで、異なる視点を示す他者に共感するよう求められました。第二次大戦後の戦争裁判を、アパルトヘイト後の南アフリカの真実和解委員会と対比させたこともありますし、特定の国々が過去の罪に対していまなお償いを必要とするのかをめぐる激しい意見の対立について考察したこともあります。こうした絶え間ない訓練は深く心を動かされるものであり、社会が自らの過ちへの赦しを得るための、そして自分たちに過ちを犯した相手を赦すための、さまざまな政策手段を理解する助けとなりました。
卒業後、私は素晴らしい思い出と大切な学びを胸にハワイへ戻りました。振り返れば、それは人生で最も大きな変化をもたらした時期のひとつでした。政策を評価するために必要な分析スキルに加えて、何より大切なこととして、良い統治における思いやりと共感の価値を学びました。こうした学びは、政治的な党派対立が続く現在の我が国においてこそ重要だと信じており、来たるハワイ州下院議員選挙への立候補において実践していくつもりです。私のメッセージの核心は、私たちが共有する未来を認識することを通じて、人々をひとつにすることにあります。