[1] パリ政治学院(Sciences Po)で学んだこと
パリ政治学院では、理論的な授業よりも実務に基づいた授業が多く提供されています。将来、公務に携わりたい人にとって、そのスキルを学ぶには最適な環境です。そこで、今回の留学の第一の目標は、自分が将来携わる仕事に関係する防衛政策の基礎的なスキルを学ぶことでした。私はインテリジェンス、軍事戦略、リスク分析、EUの機能、外交のグランドストラテジーの授業を履修しました。どの授業も刺激的で、新たなインスピレーションを与えてくれました。たとえば、「政策の失敗」と「インテリジェンスの失敗」の違いを学ぶために、教授は「1979年に米国がイラン革命を予測できなかったことは失敗ではなかったと言えるか」というテーマの執筆課題を出しました。この課題を通じて、教授はインテリジェンス・コミュニティをどのように設計し運営するかを教えてくれました。もちろん、リーディングとライティングの課題は大変で、教育文化の違いに適応するのは難しいものです(※下の表を参照)。しかし、それらもまた、私の知識とスキルを大いに豊かにしてくれました。そこで学んだことは、官僚として働くうえで役立つはずです。
忘れがたい経験のひとつは、クラスの3人の代表のうちの1人に選ばれ、日本の安全保障のグランドストラテジーについてプレゼンテーションをしたことです。大きなプレッシャーを感じましたが、他方で、6年間の大学生活の成果を示す絶好の機会でもありました。何人かの学生が私のプレゼンテーションを褒めてくれたとき、GraSPPでやってきたことに、より自信が持てるようになりました。この経験はまた、自分の言葉が外国の人々に対して日本のイメージをつくり得るのだと、いっそう強く感じさせてくれました。パリ政治学院での留学を通して、「日本とは何か」「この国の強みと弱みは何か」「どうすればこの国の魅力を高められるか」をより深く考えるようになりました。パリ政治学院での経験は、日本を別の視点から見ることを助けてくれました。
<ポン・デザール ~パリで一番のお気に入りの場所>
※一般的な授業スタイルの違い(私の経験に基づく)
(多くの授業を履修)
(多くの授業を履修)
(少数の授業を履修)
ディスカッションを交えた講義中心
実践中心
<私の授業スケジュール>
[2] 一人の人間として:学校の外で
第二の目標は、さまざまな学生との交流を通じて人間性を磨くことでした。この点でも、パリ政治学院はうってつけの場所でした。最も刺激を受けたのは、多くの友人やクラスメートが、自分自身の将来について高く明確な目標を持っていたことです。彼らとの会話はとても刺激的で、もっと野心的になろうというモチベーションを与えてくれました。特に、パリ政治学院で出会った親友と何度も議論を重ねるなかで、自分のアイデンティティと目標をより明確にすることができました。パリ政治学院だけでなく、寮の環境もまた、自分の新たな一面を見つけさせてくれました。パリ政治学院には独自の寮がないため、私はパリ国際大学都市の日本館(Cite Universitaire Maison du Japon)に住んでいました。そこは住人の大半が博士課程の学生です。学校が終わると、私たちは政治、歴史、芸術、哲学などについて語り合いました。それはたいてい夜通し続きました。この経験は多くのインスピレーションを与え、批判的思考力を鍛えてくれました。
加えて、パリだからこそできること――難民との交流、数多くの歴史的建造物の見学、美術館での芸術の学び――は、私の人生経験を豊かにしてくれました。パリに来る前、ちょうど就職活動を終えたばかりの私は、一人の人間として少しばかりの自信を持っていました。しかし滞在中、多くの経験がその表面的な自信を(良い意味で)「打ち砕き」、「自分は何者か」「自分の人生をどう生きるか」を再構築させてくれました。
<パリはワイン好きにとって最高の場所>
[3] 「現場」を理解する:パリ、そしてヨーロッパ各国を歩いて
パリに住む最大の利点のひとつは、他のヨーロッパ諸国へ気軽に出かけられることでした。滞在中、ボルドー、ロワール、ブリュッセル、ストラスブール、フランクフルト、ハイデルベルク、マルタ、ベルリン、ドレスデン、プラハ、ウィーン、ザグレブ、サラエボと、多くの場所を訪れました。どの場所も、ヨーロッパの歴史と地政学について新たな視点を与えてくれました。たとえば、マルタ、ザグレブ、サラエボを除くこれらの都市に共通するものは何だと思いますか? 有名な教会や宮殿といった歴史的建造物? そのとおりです。しかし、なぜそれらがあるのでしょうか。これは地政学的な問いです。ティム・マーシャルは著書『恐怖の地政学(Prisoners of Geography)』のなかで、ヨーロッパの繁栄の鍵となる本質は、交易ネットワークの発展を可能にした「川」にあると指摘しました。実際、先に挙げた各都市には、かつて交易に使われていた大きな川があります。また、サラエボに行けば、なぜバルカン半島が「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれたのかが分かります。1km圏内に、カトリック教会、正教会、モスクが見つかるのです。この地は「文化の十字路」であり(それは今も変わりません)、当時、各勢力がこの地域に影響を及ぼそうとしました。そして、ちょうど私が生まれた頃、ここは民族浄化の場でもありました。サラエボには今もその痕跡が残っています(ただ、もうひとつの驚きは、その大部分が復興していたことです。私はそこに「希望」と人間の力を見ました)。これらの経験は、歴史についてさらに深く考えさせてくれました。
加えて、パリでは難民危機の現場レベルで何が起きているかを見ることができました。忘れられない光景のひとつは、ヨーロッパ社会に失望した北アフリカ出身の男性が「ヨーロッパなんて大嫌いだ!! アッラー・アクバル!!」と叫び、他の難民たちが歓声を上げたことです。人々の難民への向き合い方が今なお非常に複雑であることを目の当たりにしました。そして、ボランティア活動や、パリを含むヨーロッパ各都市を歩いた経験を通じて、難民が行き先を決めるうえで、エスニック・コミュニティの存在とその生活状況が重要な役割を果たしていると感じました。こうしたフィールドでの学びも、パリ留学のもうひとつの魅力です。
<サラエボにて撮影>